一之宮の名前の由来     
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専堂坊屋敷と一之宮

最近、雷門一之宮通り(商店会)の名前の由来を聞かれることがとても多くなりました。

関心を持っていただけるということはとても嬉しいことですが、
そのつど答えていてふと、
(そういえば、文書に残した事はなかったっけ・・・・)と改めて思いついた次第で、過去の文献を改めて編集しなおしてみることにいたしました。

■歴史家の証言

まず始めに、明治、大正期の史跡研究家である磯ケ谷紫江氏の記事(浅草今昔帖S35年8月)に興味深い記述があります。
ちょっと長いのですが貴重な証言なので以下に掲載します。

 浅草の「雷門」と俗に言うようになったのは余ほど後のことで、
昔は山門一町ばかり前右の方の道東北里の街道筋にあった。

当時武士は馬上で通ったものであるから馬道という。

今は雷門跡とは言えない雷門の右の方吾妻橋の方へ向って
右側約十五六間行った横町へ入って三十間ほど行ったところ、
もとの寄席並木亭の楽屋の窓下に古来から三つの古塔があったという。

(現在白玉稲荷社の右後方の辺に当る)

■歴史書にしっかりと示されている専堂坊屋敷
土師中知の石塔(図・文:浅草名跡誌より
浅草名跡誌に
『桧熊竹成浜成之墓 雷門門外。専堂坊長屋ニアリ。左ノコ此所ハ専堂坊ノ地ナリ。世ニ云桧熊竹成浜成ト云ハ誤ナリ。一人ハ土師ノ真人仲知。一人ハ桧前連浜成。一人ハ竹成。武成トモ云。此三人也。
土師真人仲知   専堂坊
桧前連浜成    斎藤坊
同姓竹成     常音坊
右ノ三坊。祭礼ノ時。三社ノ神輿ヲ守護ストナリ。江戸志伝。昔ヨリ妻帯ニテ。常精進ナリ。節分ノイフガタ。観音堂ノヲニアラヒニハ。堂ノ内ノ柱ノ中段ニ 棚ヲ設ケ其上ニテ 防火ノ札ヲマクナリ 専堂坊ヨリハ 観音ノ縁記ヲ出セリ 銅ノ印ナリ 斎頭坊ヨリハ牛ノ玉ノ印 毎年正月六日ニ本堂ニ於テ 是ヲ出ス 常音坊ヨリハ 牛ノ玉バサミノ柳ヲ出スナリト云云』

とある。
浅草名跡誌/文政八年(1825)
 著者:石川正驕i昌平坂学問所内の地誌調所に従事した)



大橋微笑著「古墳の露」に載っているものと、江戸叢書の「砂子の残月」に載っているのとは大略あっているが、一寸違ったところがある。

砂子の残月には「並木町の内、浅草寺雷神門よりあづま橋の方へ行く道の右側の町屋の裏に碑あり(中略)いづれの碑にしても古代のものと見えたり」と古墳の露には、「吾妻橋へ行く途の右手、紺屋の干場ある裏の所、古来より三つの古墳あり、是即ち武成等兄弟の墓なりと伝え居たりしが、年代の久しき儘に欠損したるまま、(近頃明治29年)新たに碑を建て、古き塔は脇に積み重ねし由」とあり。

私は塔の格好で大変違ってはいるが、種々損傷し、積み重ねなどして、文字は刻してはないが、多分当時見聞きしたときは同一人物であったとおもった。

腑に落ちないことは、砂子の残月の記事中表に、
「三社大権現旧地云々とあって、図の方にはそれがない。

図には「究覚抄覚」と読まれる。台石には「真上」とある。
是は多分武成浜成の碑石「古墳の露」に三つの古墳とあるは、
兄弟両人と土師真中知の墳ということであろう。

大震災9月3日にかけつけてみたが「浅草神社遺跡碑」は見当たらず、どこへ埋まったものかこの古墳が何処かで見つかることが出来たならば
江戸最古の記念物であろう、現在の儘では実に惜しいことである。

                            (史跡研究家)

磯ヶ谷紫江 (1885-1961)墳墓研究家。

 


ここで述べている三塔のうち、中央に建つ塔が私たち一之宮商店会の名の由来となった土師中知(はじのなかとも)となります。

この地にかくも歴史的貴重な遺蹟が残っていたのです。
残念ながら記述されている通り、関東大震災以後現在は見当たらず、先の大戦の騒乱期を経てなおのこと混迷のかなたへ、行方知れずとなってしまいました。

もし土中からこの三基の石碑が発見されることがあれば、大変な遺跡となるわけです・・・・。

 
■専堂屋敷の位置

次に、浅草寺金蔵院住職であり歴史家の故網野宥勝師の「浅草寺談抄」に次のような記述を見ることができます。

 
土師家の旧宅地は現在の雷門郵便局の前、
雷門一丁目六番地と四番地とにまたがる一帯であり江戸時代にも専堂長屋という町屋があった。

今でも小さな稲荷が祀ってあるが、あすこに幕末まで三基の墓石があって「遊歴雑記」に図まで出ており、寺志には五輪塔のように記しているが、燈籠型のもので、高さ三尺程のものが二基、二尺程のものが一基で、中央の碑銘だけに「究意覚」寺志には究意妙覚と見え、得脱して仏果を得た意味であるから、墓銘としてもさしつかえないもので、その台石に「真□」と見えるのがあるいは土師中知の法名ではないかとも考えられるのである。

 ==中略==

余事はさておき土師中知の旧宅地を前述のごとく、雷門一丁目十一番地と推定している。中知が感ずるところあって、私宅を寺に改め、観音像を奉安して私度僧となり礼拝供養に半生を捧げ、以って近隣の教化指導にも当ったであろうことが想起できるが、当初は寺名もなく、単に「観音堂」くらいの名称で呼ばれていたかまたは、土師の姓を冠した「土師寺」などとよく類例のある寺名で呼ばれていたかも知れない。


 
ここでいう雷門一丁目は昭和42年に行われた住居表示変更前の表示であり、現在の雷門二丁目のことです。


明治初年地租改正に用いられた沽券図にもはっきり見られます。土師長夷(はじのながきよ)と表記されるのが土師氏の居宅地であり、ここ雷門一之宮商店会の通りは土師長夷の宅地上に重なるように造られているのがわかります。



   専堂坊屋敷跡


以上の理由から、本通りを専堂坊つまり土師中知屋敷跡にちなみ「一之宮」の通り、つまり一之宮通りと名付け台東区におきましてその名称が承認されました。

また、一之宮通りに面した商店を含む有志商店の団体として雷門一之宮商店会と命名しました。

専堂坊(あるいは専当坊)という名は、浅草神社(三社権現)の一之宮(土師中知)に由緒を持ち代々受け継がれてきた名称でありますので、郷土を愛する心で「一之宮」と言う名称を後々まで伝えていきたいと考えております。




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7/3


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